若松教会創立130周年記念礼拝(2020.5.10)
「私たちの使命」 マタイ福音書11章25節~30節
様々な分野において、これこそ私の使命であると考えて、取り組んでいる人が数多くいるし、その使命感が、試練に直面しても、忍耐し、頑張って取り組んでいく大きな力になっているに違いありません。
主イエスが使命感を持っておられたのは、自分の思いからではなく、ましてや野心的な思いからでもなく、そうではなくて、神から与えられたものであり、洗礼の時のように神の言葉が直接に臨み、また聖霊の働きかけを受け、イザヤなどの預言者が預言している、救いをもたらすために遣わされる主の僕はご自分であるという自覚が与えられていたのだと思います。
だから、主イエスが「疲れた者、重荷を負う者は私のもとに来なさい。休ませてあげよう」と語った言葉には確信と権威が伝わってきます。つまり、この確信や権威は、主イエスがご自分を通して、神の国が実現していく。ご自分を通して神の栄光が現れる。ご自分を通して神の愛による支配が実現していく。ご自分には、創造主なる神が、つまり無から有を生じさせ、不可能を可能にできる大いなる生ける神が共におられ、聖霊が働くことによってご自分の語ったことが実際に事柄となっていく、疲れた者や重荷を負う者が実際に慰められていくという信頼があったからではないか。
このことを伝えていくことが私たちの使命であり、イエスを指し示して、この人を見よ、この人こそ救い主、この人にこそ慰めと平安がある、この人にこそ豊かな豊かな赦しと愛があることを訴えていくことであり、また、許された者として、愛された者として、感謝し、喜び、望みに生きていく生き方を示すことが私たちの使命です。
ここからは、私自身が牧師としての使命を与えられたことの証しをさせていただきます。
このことを詳しく語ることを今日までいろいろとはばかることがあり、はっきりと言ってきませんでしたが、いろいろな中で、はっきりと伝える時が来たのではないかと思いましたので、話すことにしました。
で、一言でいえば、ある時、私自身が、使命を与えられているという神の言葉を聞き、聖霊を注がられる経験をし、さまざまなことによって神がともにいてくださるという啓示を受けていると確信しているからです。
ある牧師に出会って感激したからとか、誰かに勧められてなったのでもなく、ましてや自分から一念発起して、牧師になろうと思ったのでもなく、むしろ放蕩息子のような人間です。20歳の頃の私をよく知る連れ合いからは今でも牧師になっているのが信じられないと言われるほどの罪深い人間であるのは確かなことです。
初めて、私に神の言葉が臨んだのは、中学生の頃、夜中にトイレに行くために、家の外に出たとき、50m先に火の玉が飛んでいるのが見え、それと同時に、「お前は使命が与えられている」という声が聞こえてきました。
20歳の時、鹿児島県の枕崎から上京して、八王子にある会社に就職し、何らかのことで、柔道をやっていた同僚とケンカになり、彼が私の首を絞めて、気絶させると脅した時に、「お前は大きな仕事をするまで死なない」という言葉が聞こえてきて、そのことに勇気づけられて、やるならやってみろと言ってたら、相手は驚いて、私の首から手を離すということもあります。
弁護士になり、政治家になりたいという夢がありましたが、その夢が実現できることなど到底無理であることを悟る中で30歳の時、早稲田大学法学部を卒業する時に、不思議な経験を真剣に受け止める中で、神学校に進学し、牧師になりたいという志が生まれました。
その時、教会に通っていたのは、数回で、もちろん洗礼も受けておりません。大学3年の時、結婚していて、長男が生まれていた時期であり、キリスト教のキの字も知らず、教会のことなど全く知らなかった連れ合いには本当に申し訳なく、今日まで大変な苦労をかけていることに心苦しく感じています。
5年間在籍した日本聖書神学校で学びたかったことの一つに、自分が経験した不思議なことはどんなことなのか、真実なことなのかどうかを知りたいことでした。
30歳の時、1977年4月イースターの時に、日本福音ルーテル東京教会で坪池誠牧師の司式によって洗礼を受け、その一年後に日本聖書神学校に入学し、5年後卒業して、最初の赴任地が東北の南相馬市にある原町教会で、10年在籍しました。未熟な者でたくさんの失敗をしましたが、教会員の方々は大きな愛の心で受け止めてくださり、成長を見守ってくださいました。このことがあったがゆえに、今日の私たちがあると思い、感謝しています。
ある日、布団から起き上がろうとした時、私の体にドドットという衝撃を感じるような何かの力が入ってきて揺さぶられ、それと同時に「ホサナ、ホサナ、ホサナ」という言葉が聞こえくるという経験がありました。
これらの不思議な経験のことをこの後も、原町教会から、保原教会そして津屋崎教会に転任していった時もずっと心に留めていました。もう一つ心にとめていたのがあります。それは、中学生の頃、有線放送から流れてきたニュースに、「アメリカにいる預言者が、将来世界が危機に陥る時が来るが、その危機を救う人が現れる。それは極東アジアに住む人で、1947年生まれの人である(ここは少しあいまいです)というものでありました。
津屋崎教会に在籍していた時、今から10年ぐらい前ですが、ある女性の教会員がかかっている病が医者からこれ以上良くならないということを聞いた時、不思議に私のほうから「祈らせてください」という言葉が自然と出ました。
この時、私は癒しを祈るとき、神に私が受けたさまざまな啓示が真実であるのなら、危機を救う人が私であるのなら、病いを癒してほしいと祈りました。そうしたらも2週間後に、その女性から、治りました。医者もどうしてなのか不思議がっていたということを聞きました。
この他にも、「インマヌエル」という言葉が私の脳裏に響いたり、枕元に、白い衣を着ている3人の人が立っているのが幻のような状態で見たり、夢の中で、交通事故に会い、ハトのような姿で天に昇っていく自分の姿を見たり、む預言者イザヤの主の僕に関する預言の言葉を読んでいるとき、心が熱くさせられるという経験もあります。
また他の方からは、私が礼拝の前講壇の上で祈っている時、頭上に肩から丸く光る黄金の冠が掛かっているのを見たとか、夢で私の家を訪問して、みすぼらしいの門の中に入ったら、星の数のよう数えきれない多くの子供たちがいたというのを見たというのを聞いています。
これらのことを心にとめてきていましたが、最近、経験したことを証しすることが必要ではないか、しっかりと語らなければそのことは実現していかないのではないかというある人の言葉に背中を押される中で、今まで言うのに戸惑いがあり、憚る思いがなどが交錯していて、ちゃんと話してこない気持ちに区切りをつけて、言わなければならない、時が来たと思うようになりました。
語ることに恥ずかしさや、恐れがあり、気がくるっていると嘲笑されるかもしれないし、この先何も起こらなければ、茶屋は礼拝の説教の中で、偽りを述べたと激しく非難されるかもしれないという後ろ向きの思いを捨てて、何かが起きた時に茶屋はそのこと以前に語っていた、本当であったと思ってもらうためにも必要だと思い、時が来たという思いに固く立ち、このような証をさせていただきました。
この証で一番言いたいことは、生ける神は必ず私たち人間の危機を必ず救ってくださる。罪深い私のような者をも赦し、尊い者として愛し、私たちが安心して生きていけるようにいつも配慮したくださる。この方こそ真の神であり、歴史の主であり、創造主なる生ける神であり、その神が私たちと共にいたくださるというメッセージです。